『将棋の子』 大崎善生 著

将棋の子 (講談社文庫)

将棋の子 (講談社文庫)

将棋の奨励会における熾烈を極める競争の厳しさと、そこを去った者のその後の物語である。

「どうしてってさあ。奨励会ってところは、一方でも逃げ道があったらもうだめなんだ。同じように頑張っているつもりでも、前とは違う。どこにも逃げ道がなくて、将棋だけにかけていたときとは、もう違うんです。何かが違うと思ったら自分にも自信がもてなくなる」

何か逃げ道を一つ作るだけで、心の中に弱みが生まれ、勝負に敗れるという極限の世界。そして、命を削る思いで打ち込んだとしても、プロ四段に昇段できるのは年間4名のみで、三段以下のまま一定の年齢に達した者は、十数年来の夢を捨てて否応なく退会しなければならない。
上記の発言は元奨励会員の米谷和典氏によるもの。彼はプロ棋士への夢破れて職を転々とした後、再度自らをギリギリまで追い込んで司法書士試験に合格している。その際の追い込み方も半端ではなく、一切の娯楽を絶ち、網膜に深刻なダメージを負うところまで目を酷使する生活だった。かくいう私もとある資格試験に挑戦中だが、いったい幾つの逃げ道を作っていることやら。彼我の差を見て、自分のことながら呆れ果てる。
文字通り全身全霊で対象に挑む、その経験がなければ、たとえ事を成したとしてもそれ相応の果実しか得られない。逆に退路を断ってがむしゃらに挑めば、勝負に敗れたとしても何かが残る。結果、経済的にどん底に叩き落されたとしても、である。そんなことを感じた一冊だ。
これほど魂を揺さぶられたのは、夢枕獏の「神々の山嶺」以来だった。