『ジャーナリズム崩壊』 上杉隆 著

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

日本のジャーナリズムには、「メモ合わせ(カンニング)」、「クレジットの不提示」などの特有の慣習や、権力との間でもたれあいの様相を呈している「記者クラブ」という特異な制度がある。筆者がかつて在籍していたニューヨーク・タイムズと比較し、これらがいかに馬鹿げたシステムであるかについて論じている。
欧米メディアは、ニュース速報は通信社に任せ、上がってきたニュース素材を吟味して記事を書く。その際、自らの立場を明らかにした上で「偏った」記事を書く。偏る、というのは、分析や批評を交える以上、当然であり、「客観報道」など不可能との立場だ(対する日本のメディアはあくまで客観報道を標榜する)。そして、記者は記事に責任を持つべく、必ず署名する。日本の新聞社の姿勢は、これらとはいずれも異なっている。
ニュース素材をもとに突っ込んだ取材をし、立場を明らかにして記事を書くという点で、日本では週刊誌が、欧米メディアに最も近いという。ただし、週刊誌記者は記者クラブに所属できないため、情報源が著しく制限される。おかしな話である。週刊誌はあまり読まないが、ちょっと見てみようかなという気になった。
さて、日本のメディアのねじれた実態が見えて、総じておもしろく読める本書だが、ニューヨーク・タイムズをほとんど神格化といっていいほど絶対視し、それとの比較で繰り返し記者クラブ制度をこき下ろしていて、議論が単調となり、途中から疲れてくる。こうならないために、例えば、ニューヨーク・タイムズのジャーナリズム精神がどのような歴史を経て育まれ、その優れた点は何であり、その理由は何であるかについて、あるいは他の欧米の新聞社の風土はどうなのか、についてどこかで掘り下げがあるとなおよかった。そうすれば、これらと思想を異にする日本のメディアのシステムがなぜ劣るか、極端な表現で煽らずとも淡々と事実を示すだけで一目瞭然になったと思う。
とはいえ、日頃日本の新聞はどれも同じような紙面で、これだけ読んでいたのでは見えてこない部分が少なからずある、と感じていたところで、それを裏付けるような内容であり、おもしろかった。